幸不幸を指標ではかること

負け犬だ、勝ち犬だとかをはじめとする「勝ち組」「負け組」という文脈で話をする人とかが、まったく理解できない。
それと同様に、結婚とかそういったゴールみたいなものを設定して、このゴールに辿り着ければ自分は幸せになるとかそういう発想もまったく理解できない。


幸せなんてものは、自分の手に何を抱えているかという文脈で語るべきものではなくて、どんな人だって辛いときも幸せなときもあるんじゃないかと思う。


俺の付き合っている人は、とにかく自分に自信が無いらしくて、自分が嫌いらしくて、「まあ、若いから仕方が無いのかな。」とか思ったりしている。
でも、「結婚して妻という座を得たら、安心して、自分も落ち着いて幸せになれると思うの。」なんてことを聞くたびに、結婚したらしたで、妻という座が安全なのかどうかわからなくなって、結局、結婚前と後で何も変わらないんだろうなと思ってしまう。
そんなわけで、「早く結婚しようよ」とか言われても、こういう話をしたり、はぐらかしたりしているわけだ。


自分探しだとか、結婚だとかに、自分の幸せを見るというスタンスがやっぱりわからない。
自分から如何に目を背けようとしても無駄で、自分自身のことなんだから自分自身から逃げることなんてできないと思ってしまう。
わかりやすい指標なんてものに逃げ込んではダメでしょって思ってしまう。


まあ自分の彼女に限らず、そういう人は多いことは多くて、いつも疑問に感じてしまうんだけれど、そういう人とこういう話すると、いつも平行線か聞き流されてしまうかのどちらかだ。
どうしたものか。


皆さんはそういう時どうしますか?


ちなみに俺は、そういう話したときに、「そんなに私のこと考えてくれているんだ!」とか喜ばれて、腰が砕けた。
愛の言葉とか語ってるんじゃねえよ。今のお前じゃ結婚なんて考えられないって言っているようなもんだ。
本当に指標化して安心するような人間は、話の本筋とか本質を無視するから困る。