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取り上げようと思ったりするネタはあるんだけれど、面倒になって書かずじまいな今日この頃。
最近、ピクリと反応しかかったネタは、
- 森昭雄教授,講演で「ゲームが原因で自閉症になる」発言 | スラド(/.J)
- エエッ! パソコンのブラインドタッチは脳に良くない(ゲンダイネット)
- サイバーエージェントの社長の実学偏重な貧しい世界観(void GraphicWizardsLair( void ); //)
など。
まあ、書いたところで、いつものパターンの弄り方なんだけどね。題材もそうなんだけど。森教授はよく取り上げてるしね。大島名誉教授、サイバーエージェントの人は俺の脳内に新規エントリー。
大島名誉教授は、森教授臭が。
サイバーエージェントの人は、ベンチャーの間はその考えでいいのかもしれないけど、会社が大きくなってきてもそのままだったら、堤氏的な方向に行くような気が。
それにしても、明らかに観点がおかしいと思うものや、根拠が怪しいものに関して引っかかるというところは、俺って本当に昔から変わらないな。
最近気づいたんだけど、歳を重ねるにつれ、真っ当な正論っていうかそういうものが苦手になってきた。どう言えばいいのかわからないのだけれども、胡散臭いというかなんというか。
人間、汚いところとか打算的な部分とかいうような闇の面を多少持ち合わせているものだと思うからだろうか。
不完全な部分を持ち合わせているからこそ、人間は面白いし、そういった部分を内包しているからこそ人間だと思う。
そういった人間臭い部分を切り捨てたような綺麗事に触れると、なんだか落ち着かない気分になる。
自分が否定されたように感じるのか、その人の内面を想像して寂寞とした気分になるのか、その両方か判らないけれど。
中学生の頃は、そういう正論大好きだった。思春期故と言えるんだろうが、自分を追い詰めていたし、人の気持ちとかあまり顧みることが出来なかった気がする。自分は完璧な人間になるんだと思っていたけど、なんだか必死なだけで、随分と器の小さい人間だったと思う。さすが思春期。
今だって大したものじゃないけれどね。
いいかげんになった分、いろんなことを許容できるようになってきたのかなと。
ま、許容できても理解はできなかったりするけどね。女の子の特有の理不尽さとかね。
昔からこういう会話が多い。
「察するのが愛情でしょ?」
わかるかっつーの。俺はお前じゃないし、お前だってわかってねーじゃねえか。
「私は察しようと努力してるもん。何でわかってくれないの?」
じゃあ、俺の努力は?
「伝わらないからダメ」
って、ええと矛盾してないか。
仕方ないなと思うようになってきたが、出来ることなら「察しろ」じゃなくてちゃんと口で言って欲しいなと思うのは、俺が理系男だからだろうか。
面倒だから、なんとなく察しても、言葉どおりの解釈を優先させたいし。
んー。なんだか理系男がもてない理由を書いている日記みたいになってしまった。(ちなみに、喧嘩とかしたわけじゃないですよ。)