SIを辞めようと最初に思ったとき。

これを読んで色々思い出した。

俺がまだ、ようやく中堅SE扱いされるようになった頃だった。
ある第3セクタのシステム開発の要件のヒアリングで、「では、こういう感じだと、人も介在しませんし、早く正確にいけるんじゃないでしょうか?」と提案した時に、「馬鹿!そんなことしたら人手が余るじゃないか!」と顧客から厳しい叱責を受けたことがあった。
天下りを高給でかなり雇っていると聞いてたし、コストも下がっていいじゃないかと思いながら、釈然としないまま帰社して上司に経緯を報告した後、その辺りの説明をしてもらった。


天下り先確保することでそのセクタは金/仕事を繋げてて、生え抜きの職員/出向/天下りの共生関係みたいなものが完全に出来上がっているから、それを壊すような提案はご法度だということだった。
国民的には俺の提案の方がいいという確信はあったが、確かにそれは組織としては触れられたくない領域だろうし、その部分を変革することが難しいということは俺でもわかる。でも、そういうことまで考慮に入れて提案するというようなことは、今も昔も俺は致命的に下手糞だ。顧客要求より、自分の理想ばっかり考えてしまう。


俺は、未だに「システムで出来ることはシステムにやらせるべきだし、それは最終的には全体最適化に繋がる。」と考えてるし、そうすることで、「いいシステムだ。」と利用者に喜んでもらいたいという理想が捨てきれない。
そもそも、システムだとか機械に出来ることを人間がやると言う発想がわからない。こういう話で例え話は良くないのかもしれないけれど、エンジンとスクリューがあるのにガレー船を使うのかという話に近いのかもしれない。
つまり、機械やシステムで出来るような作業って、奴隷作業なんじゃないのということだ。


SIに携わっていた頃は、そういう壁の連続だった気がする。
特に、システムというものの位置づけが難しかった。それは一人の破壊者の存在で、世界が変わってしまうということがあるからだろうなと思う。
喩えて言えば、「電卓作ったので、あなた達はもう四則演算習得する必要が無いですよ。」というような感じなのだろうか。
いきなりそういう「反則技」みたいなものを持ち込めば、それは反発を喰らうに決まっているのだろう。俺はそういうところを上手く折衝出来なかった。
ゆっくりとした改革方法等を思いつく事が出来れば良かったのかもしれないけれど、自分の中での「more better」からあまりにも離れることがどうしても許せなかった。
そういう事が積み重なってSIという職種を離れて所謂IT系というかWeb企業に流れたんだと思う。



勿論、他にも、SI的なプロジェクト管理の疑問点だとかもあって、Web企業に移ることになったわけだが、その後、改めて感じたことも多かった。それに関しては、また機会を設けて書いてみたい。