vs DQNを酒を呑みながら考えてみた。

圏外からのひとことさん経由でしった素晴らしいBlogの記事たち。

俺は、若いころ、所謂ヤンキーさんたちに絡まれやすい人間だったのだけれども、基本的に「逃げない。目を逸らさない。言う事を聞かない。手を出さない。」を信条にそういう時は対処していたということを思い出した。こっちが切れて、手を出したりすると酷い泥仕合になったり、バイトや約束に遅刻したり(殴ったあと必死で逃げまくったりして)とか、必ず面倒なことになっていた。
そういう経験上、毅然とした態度で臨む非暴力が一番有用な暴力を止める力になりうると思っている。


所謂、非暴力主義で、一番拙いのはビビってしまう事なんだろうなと思う。
日本のイジメの構図のように、イジメっていう暴力に恐怖したら、止まることは無いんだろうなとか。ただ、あれは狭くて、ある意味強固なコミュニティ内であって初めて成り立つ現象だろうが。
それでも、言いなりになった時点で負けは負けだ。止める意思を失った時点で。


どういう形にせよ、負ける時って、自分可愛さのあまり、屈するような時なんだろうなと思う。屈した時点でそれより酷いことになるかもしれないのに。
そして、屈し続ける事に耐えれなくなったら、結局抵抗するわけだが、積もったものもあり、また負けたらと言う恐怖もあり、より悲惨な形でそれは実行されるものなんだと思う。


そして憎しみだけが降り積もり、どんどん悪化していくだけなんだと思う。


ゲーム理論では、基本的に同調路線で、殴られたら殴り返すのが一番良いということらしいが、俺は、殴られたら「精神的に」殴り返すのが良いのではないかと思う。
それは、中傷誹謗というところではなく、相手の良心に訴えかけるようなものだが。
抵抗もしないのに、真っ直ぐに見返す相手を痛めつけるなんて、そうは出来ないと思う。
勿論、良心なんてこれっぽっちも持ち合わせていない人間も居るかもしれないが、多対多の世界だったら、充分通用すると俺は思う。
キチガイなんて、世の中そうは多くない。前述のBlogでは、ナチスでさえ、効果があったらしいし。


そういうことで、非戦という事を考えてみるのも良いのではないだろうか。
元々小心者の俺が、今があるのはそういう考えを持って上手く出来たからだと思っている。
そして、一番重要なファクターは、

  • 自立心
  • 他人の価値観を受け入れる事
  • 理解できない事は、話し合う

という誰でも言っていることに尽きると思う。勿論、なるべく冷静に相手の話を聞くのがポイントなんだろうけど。


いや、そんなことは、誰でも言っているのに上手く出来てないから今の俺なのか・・・。いやいや、そんな余計な突っ込みは考えず、皆様は正道を歩んで欲しいと思う。


考える材料としては面白いと思いますよ。