眠れないので思いついたまま開発論に関して(酒の勢いで)

今更ながら、一時期あったソフトフェア開発論に関して。
たとえを使うと、誤謬が発生するから好ましくないのかもしれないけど、印象的にはこういう感じ。

  • 伝統芸(茅葺作ったり伊勢神宮の工匠みたいな人たち)
    • Cobolとか、PL/Iなホスト系の人たち
  • 巨大建築(ダムとか高層ビルとか作る人たち)
    • WaterFall開発な人たち
  • 2×4な人たち

そんなイメージがある。
で、みんな、「顧客のことを考えてるのか!」「顧客を考えればベストはコレだ!」的な不毛論が多かった気がする。
勿論、立場やターゲットを考えて冷静に話していた人もたくさんいたけどね。


で、何か不思議だったのは、ウォーターフォールだろうとアジャイルと、伝統系徒弟制度の究極のシステム開発の一つだと思われるホスト系を全否定。
それは、とても不思議で、オープンに出来ないプラットフォームで、オープンに出来ない内容だから、当然の事なんだろうなと思ってたんだけど、そうじゃないのかなあ?
でも、その共通土壌で、アジャイルの人とウォーターフォール組は戦うと。


そして、俺は、否定されつつ黙殺しているホストの人達の事が少し気になる。
ネットなんて関係ないのかもしれない。烏合の衆なそれ以外を見下してるのかもしれない。そんなことはわからないけど、ホスト系反論は殆ど無い。
ネットを見て無いのかもしれない。伝統芸にネットなんて殆ど必要ないし。
知ってるホスト屋は、ネットになんて情報出てないから探すことなんて無いというような人間だ。ああ言う徒弟性は構造的にオープンであることは必要ないのかもしれない。

同じように、ダム建築と2×4建築も、本来ありいれないから議論しても仕方ないかなと思う。ただ、IT系だと、ダムと2×4ぐらいの差がなくなってるのかもしれない。だから、議論が多いのかなあ。
でもさ、正直、開発方法論に関して、みんなまともに考えてるのかなと疑問に思うことが多い。
QC系の人に惑わされてるんだろうか?それともそれに惑わされた上司に惑わされたんだろうか?

開発者としては、そのプロジェクトに対して、「こういう形なら何とか」ってのは少なくともあると思う。マネージメントも然り。
でもさ、みんな原理論になりがちだから、どうしようもなくなるんじゃないのかなとか思う。
別にいいじゃない。
例えばここはRUPから。んでも基本はウォーターフォール。でも開発真っ盛りはXPで。
開発方法論なんて、課題に対して戦うための戦術の一つだし、こだわらなくてもいいんじゃないのかなあと。


正直、原理主義者が蔓延った現場でデスマーチにならなかったことは見た事が無い。
今まで生き残ってきている手法はバカに出来ないし、今、急に脚光を浴びてる手法だって同様だ。


ソフトフェア開発自体は、完全に局所的な話であり、そこで通用するのは、「戦略」ではなく、「戦術」だ。それを柔軟に使いこなせなかったら勝てなくても仕方ないんじゃないかな?
そんなことを考えてみた。
戦略を立てる側になったら、後一部屋ぐらい広い住宅に住めるかなとかと思いながら。(1DKです)