言語化できないもやもやしたもの

子供の頃から、「お前のため」という言葉の下、何かを望まれたり強制されたりすることに違和感を覚えていた。
歳を重ねて多少は受け流せるようになったけど、やっぱりそういう類のものは苦手だ。どうしても免罪符を掲げているようにしか思えないから。
その延長線上で、大義名分とか正義といったお題目も苦手だ。
結局は、「正しいこと」を理由に自分の意見を押し通そうとする姿勢が嫌なのかもしれない。そこにエゴが見え隠れしていると考えてしまうから。


いつも思うことは同じだ。
それはあなたの思う「正しさ」であり、私の思う「正しさ」ではない。


だから、正義だとか信念だとか善意が根拠となるような意見を見ると、もやもやする。特に、「客観的に見て正しいでしょ?」とか言ってるような意見は。


客観って何よ?正しいって何よ?
その答えもないままに、「客観的」に「正しいこと」だから従うべきだとする人は、今一つ信用できない。


ゲーデルの定理だとか、フッサール間主観性でもわかるように上手く説明できるといいのかもしれないが、それもまた一つの押し付けなのかもしれないと立ち止まってしまったりする。そしてまたもやもやする。


歳を重ねてもなかなか上手い方法は思いつかないものだと思った。